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フクシマを読む

 

 『シン・ゴジラ』を見た。この映画には「リアル」だという評が多い。怪獣映画に「リアル」というのは一見奇妙だが、頷ける。

 作り込まれたディテールもさることながら、何より「災後」のメディア空間を生きてきた我々にとって、強烈な既視感を感じさせる映像であったことが、その「リアル」たる所以であろう。製作陣が震災当時の関係者に取材し大いに参考にしたことは既に知られているが、福島第一原発事故におけるエピソードが随所に現れていたことは容易に見て取れた。人間には到底制御できない「怪物」を前にして、絶望とともにできうる限りの抵抗を試みた人々のドラマである。

 奇しくも同時期に、官邸の動きを中心にした福島第一原発事故のドキュメント・ドラマである『太陽の蓋』が公開された。『シン・ゴジラ』と対になって鑑賞されるべき良作であった。惜しむらくは上映館が限られていたことだ。

 商業映画があの「フクシマ」の原発危機を正面から取り上げるのはいつになるだろう、と思う。昨年公開された『天空の蜂』は明らかにタブーに挑戦していた。『シン・ゴジラ』も寓意の作品として非常に優れていたが、それでも「フクシマ」が直接の主題となるのは相当先のことに違いない。

 浩瀚の書を読むことを厭わないのであれば、良書は多い。中でも船橋洋一の『カウントダウン・メルトダウン』を超える名作はなかなかない。政府高官から避難を余儀なくされた一般人まで、膨大な取材を基にして、あの危機の全体像を描き出すことに成功している。

カウントダウン・メルトダウン 上 カウントダウン・メルトダウン 下

  

 なぜあの原発があったのが他でもなくあの場所であったのかということにも思いを馳せよう。開沼博『フクシマ論:原子力ムラはなぜ生まれたのか』は、事故直前の福島でフィールドワークを行った社会学者による、後にも先にももう書き得ない貴重な記録である。中央が欲望し、地方が欲望し、それゆえ地方は「抑圧」された。一筋縄では語れない現実がそこにはあった。

「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか

  

 この状況を生み出したメディアの責任についても一冊。朝日新聞連載をまとめた上丸洋一『原発とメディア:新聞ジャーナリズム2度目の敗北』は、原発報道をメディアが自己検証した唯一と言っていい取り組みである。新聞が無批判に原発推進に加担した事実を赤裸々に描き出している。

原発とメディア 新聞ジャーナリズム2度目の敗北

 

 「原発」というのはとかく左右両極の「踏み絵」として使われがちであり、理性的な議論は妨げられる。しかしイデオロジカルな対立に回収するにしてはあまりにも重い問いである。記号化されてしまった「フクシマ」にもう一度向き合い、事実の重みを救済することは、今からでも遅くないし、何度でも繰り返されるべきことだ。

(春香)