半藤一利『漱石俳句探偵帖』—俳人夏目漱石の素顔
俳句を緯とした、夏目漱石の伝記。彼の詠んだ俳句を交えつつ、エピソードを取り上げるという本です。
エピソードを知る事で彼の俳句についての感想が変わるのは勿論なのですが、俳句を知ることで漱石に対する見方も違ってくるのが面白い。生涯で2500以上の句を詠んだという夏目漱石にとっては、俳人としての顔こそが公私を下支えする礎だったのだなと思わされます。小説家夏目漱石としてよりもキャリアも長い(俳人として、は29歳からのはず)ですし、『草枕』『坊ちゃん』など、彼の小説作品にも俳句は度々登場しますしね。
内容としては、「漱石の笑い」や当て字についての考察や、『虞美人草』『草枕』などの漱石作品にまつわるエピソードから、漱石が立小便をしたとか性病専門の診療所に(痔の治療のために)入院したといった下世話なお話まで、良い意味でまとまりがありません。(俳句が緯として雑多なエピソード群をまとめあげています。)
たとえば漱石初の新聞小説『虞美人草』の執筆にとりかかる時期のことについて(83ページ)。彼は東大教授への道をみずから蹴って、小説家として身を立てる決意をしました。その頃、野上豊一郎あての書簡にて、
僕少々小説を読んで是から小説を作らんとする所なり所謂人工的インスピレーション製造に取りかかる
と前置きした上で詠まれた句が
花食まば鶯の糞も赤からん
です。著者は、「花」=「西洋小説」、「鶯の糞」=「漱石の小説」と解釈しており、なるほどと思わされます。同時期に詠まれた
恋猫の眼ばかりに痩せにけり
も「恋猫」=「小説家夏目漱石」と読めば、創作に恋する自身についての、自画像のような句ということになります。
全編に渡って上のような次第です。漱石の句をムリヤリ彼の人生に結びつけようとしている嫌いはありますが、まったくの的外れとも思えません。かなり面白いエッセイ集です。
最後に、気に入った漱石の句を本書からいくつか引かせていただきます。文人俳句というと、太宰といい芥川といい、イマイチな句が多いのですが、漱石は例外的に俳句として面白いものを詠む人です。
秋風の聞えぬ土に埋めてやりぬ 大正三年
上は、飼い猫ヘクトーへの追悼句になっているそう(234ページ)。
酒なくて詩なくて月の静かさよ 明治二十九年
僧帰る竹の裡こそ寒からめ 明治三十一年
相撲取の屈託顔や午の雨 明治三十一年
人に死し鶴に生れて冴返る 明治三十二年
野菊一輪手帖の中に挟みけり 明治三十二年
梅の花琴を抱いてあちこちす 明治三十二年
無人島の天子とならば涼しかろ 明治三十六年
菫程な小さき人に生れたし 明治三十九年
風に聞け何れか先に散る木の葉 明治四十三年